著者紹介
上念司(じょうねん・つかさ)さん、1969年東京都生まれ、中央大学法学部卒業、日本長期信用銀行、臨海セミナーを経て独立。2007年、経済評論家勝間和代と株式会社「監査と分析」を設立。取締役・共同パートナーに就任。2010年米国イェール大学経済学部の浜田宏一教授に師事し、薫陶を受ける。
とあり、元銀行員で経済の専門家です。
今まで私の書評というと、株式の評論が多かったのですが、経済から歴史を見るという観点が個人的には好きで、この手の本はそれなりに読んできています。
結構今に通じることがあったり、個人的に知っていた知識とやや違うことが多いので継続しています。
目次
- はじめに
- 序章 信長と秀吉
- 第一部 貨幣制度が歴史を作る
- 第1章 悪貨が良貨を駆逐する?
- 第2章 東アジアの貿易メカニズム
- 第二部 秀吉の国内政策
- 第3章 信長の遺志を受け継いだ秀吉
- 第4章 牙を抜かれた寺社勢力
- 第三部 秀吉の対外政策
- 第5章 キリスト教国の脅威
- 第6章 朝鮮出兵失敗の本質
- 結びに変えて 損得勘定で国を守れ!
となっています。全てを書くわけにはいかないのでとても印象に残ったところをまとめて紹介いたします。本書に興味を持つきっかけになってくれれば幸いです。
はじめに
ここでは信長、秀吉の時代の経済状況と海外の状況の概要が書かれています。我々が山川の日本史の教科書で学ぶ時代は、信長は武力で天下統一を狙い、敵対勢力を力で打ち負かし、延暦寺に対しては焼き討ちという非道を働いた・・・とか、秀吉は伴天連追放令とかをだし、宣教師を虐殺した・・・・とかしかありません、また、大河ドラマとかでも同じような描き方をしているのでひどい奴だ・・・・となるのですが、実態はかなり違ったようです。
ここでは延暦寺を中心とした当時の寺社勢力は、勝手に関所を作り、物流を握る「経済マフィア」であり、治外法権に近い荘園と寺内町を運営する封建領主。この既得権益の打破に動いたのが信長で、その過程で起こった戦いが延暦寺焼き討ちだったというわけで、今の延暦寺をただ、焼き討ちしたという訳ではないということです。この規制を打破するために動いた信長と、引き継いで完成させようとした秀吉だったとのことです。
また、秀吉の伴天連追放令も後で出てきますが、当時のキリスト教国は中々の策士で日本の植民地化を本気で狙っていたようです。
また、我々は日本史と世界史に分かれて勉強するために、当時の日本と世界のかかわりについては余り学んでませんでした。ただ、どうも当時は日本は東アジア最大の軍事大国だったとのことです。これも意外でした。
序章 信長と秀吉
印象的だったのが「貨幣不足」が常態化していた時代のところでした。当時は戦国時代、恥ずかしながらゲームでしか戦国時代を知らない私にとっては当時の貨幣価値が地域によって違っていたのも衝撃でした。
当時は日本は銅銭を作っていなくて、明国との貿易によって銅銭がもたらされ、お金がたくさんあるときは金融緩和状態で好景気、貿易が滞るとお金不足から物の交換が滞り、お金の価値が上がってしまうデフレ状態で不景気・・・これを解決するために地方領主は自国でのみ通用するお金の価値を決めて商人や庶民に強制するのですが、他国では他国の基準があってこれでは経済がうまく回りません。お金が少ない状態が続いて物が回らず、デフレで不景気が戦国時代の要因の一つだったようです。
また、時の足利幕府も全国統治を諦めていて、地方領主が主君を倒して下剋上を行うと、将軍家に挨拶をよこして、国の代表者として認めてくれと言われるとお金と引き換えに認めていたようです。それだと各国の地方領主は争いを繰り返してしまい、これも戦国時代の要因の一つだったようです。
第2章 東アジアの貿易メカニズム
ここで一番たくましいなぁと思ったのが 悪銭売買の専門業者「悪銭替」でした。
各国でお金の交換レートが違うのを利用して、情報を集めてお金が安い地域でお金を買い取り、高い地域に持って行って裁き、利ザヤを稼いでいたそうです。
今だと裁定取引とかアービトラージといってヘッジファンドの常とう手段ではありますが、戦国時代にこれに気づいて儲けようとした商人がいたことがとても興味を引きました。
また、世界はつながっていて、スペインがフィリピンを占拠してマニラ市をつくっており、メキシコのポトシ銀山でとれた銀を使って中国の明に持ち込み、貿易の決済に使っており、日本も石見銀山をはじめ、大量にとれた銀を使って中国との貿易に使っており、これが明国のお金を銅銭を中心とした経済から銀を中心とした経済に変えてしまう要因になったり、明の安くて上質の絹織物がヨーロッパに流入することでスペインの絹織物業者が破たんしてしまったりと、今のグローバル経済に通じる貿易ネットワークが当時から形成されていたことも驚きでした。
また、明が銀を引き付けたのが、銀とその他の資産の交換レートが他国に比べて高かったことも大きかったようで、日本との間では5割増しだったようです。なので、当時は国と国の貿易はあっても民間貿易は密貿易として取り締まられる対象だったにもかかわらず、商人は命がけで海を渡っていたようです。我々が思うより、ずっと日本人は海外人だったわけです。
とはいったも貨幣経済が進まない日本は秀吉が太閤検地でお米の測る基準の升を統一し、石高制を導入し、お金=お米にしてなんとか経済を回そうとしたそうです。これが江戸時代につながる石高の考え方で、戦国時代には石高というのは曖昧だったようです。
第4章 牙を抜かれた寺社勢力
この時代の代表的な寺社勢力のことが書かれていますが、
延暦寺
- 関所 通行料を徴収
- 荘園 領主におさめる年貢は中抜きで儲ける
- 金融 貸して返さない場合僧兵を使って強引に取り立て
臨済宗
- 応仁の乱以前は強かった、バックに室町幕府
- 貿易船のスポンサー料
- 東班衆という会計専門家集団を持ち、計算に強く、経済裁判を起こしまくり、判決は室町幕府が出すので有利な判決がどんどん出て、土地や財産を取り上げるビジネス、比叡山ですら手を出せなかった存在だった
本願寺
- かつての寺社勢力の荘園などを武力制圧
- 信長と和睦後は友好関係、秀吉とも友好関係を構築し、一定の自治を認めてもらう存在に
- 賤ヶ岳の合戦では秀吉側に参戦
第5章 キリスト教国の脅威
ここで一番ことは知らなかった事はキリシタン大名の既存の寺社や神社に対する圧政です。
キリスト教国の代表であるイエズス会は長崎の貿易の管理を行い、生糸の値段を日本のポルトガル商人に卸す価格を決め、マカオから入る買い取り価格も決め、値付けを行うサヤを抜くことを行って儲けていたそうです。また、この資金を使ってキリシタン大名を援助して勢力拡大を行うことと、キリシタン大名の中では徹底的な仏像の破却、神社仏閣の破却、僧侶の虐殺を行わせていたようです。宗教に感化された大名は盲目的にしたがっていたのだと思います。
また、ポルトガル商人は日本人の奴隷売買も行っていたようです。イエズス会としては禁止しているものの、黙認状態だったようで、これが秀吉の伴天連追放令につながった様です。これは教科書には全く出てこないです。
さらに、長崎の一部を要塞化していたようで、秀吉の伴天連追放令の時期に結局は放棄したようですが、あわよくば日本を占領しようと考えていたのは事実だそうです。
結局は海外からの様々な圧力を目の当たりにした秀吉は、日本国の対外的な地位を高め、貿易はするものの、政治的にはキリスト教国を遠ざけることを考え、禁止令を出したり、日本の影響力を拡大するために朝鮮出兵に及んだそうです。
序章にも書きましたが、当時の日本は戦国時代が終わったばかりで100年間戦争してきた国家なので国中に武器があふれ、いわば軍人だらけの国家です。ポルトガルやスペインもメキシコやフィリピンまで占拠したものの、日本の軍事力を考えると戦争するのではなく、キリスト教で感化させて、乗っ取りを図ろうとしていたようです。
当時少年遣欧使や支倉常長などがヨーロッパに派遣されていますが、これは裏にはやはり宗教的なものというよりも軍事的な思惑が大いにあったと推察されます。
第6章 朝鮮出兵 失敗の本質
ここでなるほどなぁと思ったのが、歴史の教科書によると朝鮮出兵で今の北朝鮮の領国まで攻め込んでいながら明国が出てきたり、水軍が負けて日本は撤退したとなってますが、どうも違うようで、日本は明と朝鮮の連合軍に正規軍の戦いで負けたことはなかったようです。それほど日本の鉄砲隊は強かったということです。
これはほかの書物ですが、一説によると、当時のヨーロッパ全土の鉄砲の数と日本の鉄砲の数はほとんど同じで、それほど、堺や国友をはじめとした日本の分業制の確立は凄くて、非常に整備された鉄砲隊を大名は抱えていたようです。
ただ、やはり、全土を支配するにはゲリラ戦もあり、補給も大変で、結局は撤退することになったのですが、最後、秀吉が死去して講和条約を結んだ後に朝鮮軍が日本軍を水軍で攻撃し、撃退したこともあったようです。
この時に水軍で戦死しているのが李舜臣将軍です。
なので、李舜臣将軍が日本を打ち負かしたというのもどうも眉唾な気がします。
まとめ
つらつらと書いてきました、ここで感じたとこは、結局人間は昔から地域が変わってもやっていることは余り変わらないなぁと思えることです。
お金の交換レートが違い、間に入る商売ができたり、お金がなくてデフレで不景気だと社会不安が起こったり、海外との軋轢が様々な政策を打たせたり、キリスト教弾圧も元はといえば宗教を純粋に布教させるのではなく、スペイン、ポルトガルといったカトリック教徒が日本を植民地化しようとして動いたのがきっかけだったということで、これでは弾圧につながってしまいます。日本は最後はオランダとのみ貿易を行いますが、イギリスとオランダは宗教と経済は分離していたので江戸幕府が認めたそうです。
また、朝鮮出兵は時の日本が陸軍主体の国家だったので朝鮮を選んだのですが、当時の常識で言うと本当はスペインがイギリスに負けて弱体化したフィリピンを占領するのが簡単に勝てる近道で、当時もそのような議論はあったようです。
もし、秀吉のフィリピン出兵が成功していれば、日本は沖縄からフィリピンまで貿易を独占する巨大な海洋国家になっていたと思われます。
ただ、本書の中でも触れていますが、当時は陸軍主体なので今までの成功体験から行くと海洋国家に今更転じられる発想がなくて、朝鮮出兵を選んだとのことです。この辺は太平洋戦争の前に朝鮮半島を植民地化していた発想と似ているような気がします。
経済も政治も歴史に学ぶ重要性を再認識させられる書籍でした。